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【北陸特集】東京と地方の「いいとこ取り」ができる制作会社─株式会社ビーンズ・クリエイティヴ・ディレクションズ

金沢

クリエイティブ

デジタル・IT

富山市内に本社を構える制作会社、ビーンズ・クリエイティヴ・ディレクションズは、東京の大手企業から、地元北陸の企業まで幅広く依頼を受けています。それによって、「東京と地方のいいとこ取りができる」と話すのは、代表の豆川さん。「いいとこ取り」とはどのようなことなのでしょうか。早速、豆川さんに話を聞いてみました。(マスメディアン編集部)

株式会社ビーンズ・クリエイティヴ・ディレクションズ
代表取締役
クリエイティブディレクター
豆川 雅生氏

──簡単に、会社の概要を教えていただけますか?
当社は、富山市にヘッドオフィス、都内銀座にもオフィスを持つ企画制作会社です。仕事のほとんどは代理店を介さず、企業と直接取り引きをしています。お客さまに関しては、日本を代表する大手企業から、地元の中小企業まで幅広く依頼を受けております。

業務範囲はWebサイト構築にとどまらず、サーバーやデータシステム構築、運用を行なうスタッフも在籍しており、Web制作に関するトータルコンサルティングができる体制を整えています。また、付き合いの長いクライアントが多いので、アウトバンドな営業というより、既存顧客に入り込みゼロベースから企画・コンサルティングしていく案件が多いのが当社の特徴といえます。

──今年の9月で27年目を迎えると伺いました。創業したきっかけを教えてください。
東京で音楽雑誌などのライターとして働いていましたが、実家の事情で帰郷したUターン組です。富山にもどって、広告企画制作会社に入社し、コピーライターとしてキャリアがスタートしました。その2年後に独立しました。

──はじまりは、広告制作だったんですね。
はい。創業当時は広告が元気でバブル経済の影響を受けていた時代、仕事をこなしていく中で広告やデザイン関連の賞を受賞したり、企業のCI(コーポレイトアイデンティティ)やブランドを開発したり、仕事の幅が広がっていきました。富山だけでなく、金沢からも声をかけてもらうなど、フリーになったタイミングで、これから目指すべき道というのが明確になったのを記憶しています。もともとコピー1本をひねり出すというより全体を考えることが好きだったので、スタッフやパートナーが増えていきました。

──広告制作からどのようにしてWebへシフトしていったのでしょうか。
1995年頃なので20年くらい前になりますが、「情報化社会」をテーマにした懸賞論文コンテストに応募し、入賞しました。この時の副賞として、米国西海岸ビジネスエキスポを視察する機会をえました。Mac EXPOというアップル社の展示会でした。当時、MacはまだまだマイナーのコンピューターでDTPと言う言葉もよく知られていない時代。しかし、米国ではすでにDTPR(デスクトッププレゼンテーション)が注目を浴びるなど、コンピューター上で映像と音声を駆使したソフトウェアが紹介されていて目をみはりました。このマルチメディアコンテンツに衝撃を受け、帰国後、日々の仕事の傍ら、DTPやDTPRに着手するようになりました。当時の日本国内ではかなり早い段階だったと思います。

──まさに先見の明ですね。
先を見ていたというよりも、新しい分野にとても興味を感じていました。今から思えば、デジタル分野の黎明期。当時は情報も乏しく、いろいろ苦労しましたが、試行錯誤しながらの毎日でした。そのうちインターネットの時代が訪れ、「富山県」「北陸電力」といった、地元初のホームページ作成の依頼を受けました。当時は未だWebがどのように広がっていくか現実味がなく、実験的な導入期でした。これまでどおり広告の仕事をしながらも、制作画像や音声のデータ素材を利用して、実験的にさまざまなデジタルコンテンツを制作していました。

──東京の会社と仕事をするようになった経緯を教えてください。
金沢市の企業の案件で制作したマルチメディアコンテンツを日経新聞と日経産業新聞に取り上げていただきました。この記事が資生堂さんの目にとまり、コンタクトをいただきました。同社はその頃、最新鋭の高機能なノートPCを大量導入し、タイムリーな営業ツールとして利用するプロジェクトが進行していて、同時にマルチメディアコンテンツも活用しようと計画されていました。デモをした後、「仕様は、全部任せるから」と販促用のデジタルコンテンツを受注。逆に、どこに出しても恥ずかしくないクオリティに仕上げなければとテンションが上がりました。その後はWebのお取り引きにも広がっていきました。

──交通や通信のインフラが現在ほど整備されていなかった当時では、東京の企業とのお仕事は大変だったのではないでしょうか?
そうですね。今は新幹線を使えば2時間で移動できるため、本当に便利になりましたね。当時は便数の少ない飛行機か、3時間半かけてJR在来線で移動するしか選択肢がなかったので。東京オフィスを立ち上げたのは8年前です。今は東京のスタッフが常駐していますので、すぐにフェイス・トゥ・フェイスで対応できます。

──御社の強みを教えてください。
まず、直接のクライアントが多く守備範囲が広範な点でしょうか。地方の仕事は制作費が少額でも、幅広い知識が求められます。依頼はWebに限らず、例えば地元のテレビ局から番組について相談がくると、ロゴや、CGクリップやサウンドロゴ、テーマ音楽など、すべてをつくり上げます。他にも、プロバスケットボールチームのビジュアルツールを全てディレクションしています。Webに限らず、取り引き先のコミュニケーションに関して、ホームドクターのような存在で関わり方が広がっています。

──御社で働く魅力はどこにあるとお考えですか?
都内と地方のクライアント、ジャンルはもちろん、規模もさまざまです。いろんな業種の仕事を直接お客さまの顔を見て、問題点を共有して、一緒になって答を探すことができます。直接の取り引きだからこそ、ダイレクトに手応えを感じながら、仕事ができる。自分がやった仕事だと、プライドを持って仕事に取り組めることができると思います。当社は、日本を代表する企業から、地場の企業まで幅広くご依頼を受けています。大手企業の大規模案件もあれば、地元企業のトップと近い距離で一緒につくりあげる案件もある。東京と地方の「いいとこ取り」ができると思います。

──ナショナルクライアントと直接取り引きをされているということでした。要求されるものも非常に高いのではないでしょうか
例えば、情報セキュリティへの取り組みについて、当社はあえてプライバシーマークより取得難易度が高いISMSを取得しています。それもコンサルティング会社を入れずに自社単独で取得しました。つくりあげるもの、提供するもの全ての品質にこだわりたいと考えています。

──御社にはどういった方が就業されているのでしょうか?
中途採用が多いですね。デザイナーやエンジニア、コピーライターのほかに、フリーとして契約しているパートナーもいます。東京からIターン・Uターンで富山に戻ってくる人もいれば、もともと富山にいて、東京オフィスで仕事をしている人もいます。

──富山で働くメリットはなんでしょうか?
自然や生活環境の良さは得難いですね。しかも、新幹線が開通したことで、東京へのアクセスもよくなりました。ストレスのない生活をしつつ、仕事もしやすくなっていると思います。

──本日は、ありがとうございました!

※2016年6月に取材した内容を掲載しています。