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【北陸特集】ノー残業デーを実現する映像プロダクション─株式会社イノセンス

金沢

クリエイティブ

金沢屈指の制作プロダクション、イノセンスは、今年創業25年を迎える。雑居ビル12坪からスタートした同社は、創業12年目の2003年にスタイリッシュな自社ビルを構えた。代表取締役の四藤さんは、イノセンスの創業メンバーである敏腕経営者。社員のワークライフバランスを配慮しながらも、数字に対するシビアな一面を持ち合わせた四藤さん。今の時代の流れに調和した経営哲学をお聞きください。(マスメディアン編集部)

株式会社イノセンス
代表取締役社長
四藤 美佐氏

──まずは、会社概要を教えていただけますでしょうか。
当社は1991年2月に設立した映像をメインとした総合制作プロダクションです。最近では、テレビCMやWebムービーからひも付いて、パンフレット、チラシ、Web、さらにはイベントやラジオ番組の制作まで幅広くご依頼を受けています。映像に関しては、プロデューサー、ディレクター、プランナー、エディター在籍しており、映像機材も完備しているので、企画から制作、編集まで、自社でワンストップに対応することができます。

──北陸3県のクライアントが多いのでしょうか。
圧倒的に北陸3県のお客さまが多いですが、静岡県や山梨県、長野県のお客さまからもオファーをいただいております。20年前に、愛媛県松山市に支社を立ち上げまして、愛媛県を中心に、岡山県や広島県、福岡県のお客さまからもご依頼をいただいております。

──イノセンスを創業したきっかけを教えていただけますか。
母の看病のため、会社を退職して、東京からUターンしたタイミングで、エフエム石川が開局しました。おそらく1990年だったと思います。私は大手メーカーで広報的な仕事をしていたのですが、ラジオ局が開局するなら、プロダクションをやってみたらとお声がけいただいて、やってみようかなと、雑居ビルの12坪から始めました。

──始まりは、映像ではなかったんですね。
そうなんです。ラジオをつくる、音スタジオから始まった会社です。創業当時は、編集室もなく、機材をお借りしながら走り続けていました。初めは、音スタジオだけでは食べていけるわけもなく、きぐるみを着て仕事をしたり、DJをしたり何でもやっていました。収入が安定するのに4、5年かかったと思います。

──そうなんですね。音から映像へシフトしていったのもそのようなご苦労があったからなのでしょうか。
金沢市は、約46万人の人口都市ですが、地方都市として、これだけ制作プロダクションがあるのは珍しいと思います。金沢は、芸術を応援しましょうという文化があります。なおかつ、金沢には優秀なナレーターさんまでいます。東京に比べると安価なのに、きちっと尺に合わせて喋れるプロがいる。そうゆう土壌があるから、金沢は突出して制作プロダクションが発展していったのだと思います。

そんな競合ひしめく環境のなか、私たちは後発のプロダクションでした。すでに制作プロダクションがたくさんあり、それなりのシェアを占めていました。会社を立ち上げた時には、営業の隙間がない。だから、お客さまがなにを求めているのか、サービスを追求していきました。お客さまの要望に答えるためは、音も映像もつくるしかない。音から映像まで広げたのは自然な流れだと思います。

──御社の強みはなんでしょうか。
結論からいうと、クリエイティブに縛られず、サービスに特化できたことが、当社の強みだと思います。私が広告業界出身ではなかったことがよかったのでしょうか。

──具体的にはどのようなことなのでしょうか。
創業間もないころ、納品のお手伝いをさせていただきました。当時、広告会社の方は、制作会社に立ち寄ってテープを回収し、局に持っていくということをされていました。雪国じゃないですか、おしゃれなスーツを着ていても、長靴を履いて行かないといけない。それが手間なのではないかと思い、お手伝いさせていただきました。それが、大変好評で、会社まで持って来てくれませんか、というふうに仕事が面白いように入るようになりました。

それはルール違反だよね、と業界の方にお叱りを受けることもありますが、私たちは、お客さま視線を第一に仕事をしています。私は、良いものというのは十人十色の価値観で、自己満足の世界と思っています。クオリエティも重要ですが、お客さんに喜ばれるところをやろうと思いました。

──今でも、型破りなことをされているのでしょうか。
実は、昨日はノー残業デーだったんですよ。当社は毎月第二水曜日はノー残業デーです。制作会社にノー残業デーなんてあるのかという話なんですが、当社は、代休などの労務関係にかなりうるさい会社です。これは私の理想なのですが、社員を大切にした会社にしたいと思っています。そのために試行錯誤してきました。子どもの運動会があれば、暗黙の了解で、「明日は休みね」というのが、今の我が社の社風です。

今の時代、24時間365日働くという価値観はなくなってきていると思います。最近の若者は、野心の持って行きどころが違うと感じています。野心がないというわけではなく、我々が持っていた野心「いい家を買いたい」とか、「いい車を買いたい」とかと違う価値観をもっている。そんな価値観にもあわせられる会社にしたい。

ノー残業デーの話をすると、みんなびっくりされますが、自分たちで、仕事をコントロールできないと長続きしないと思います。長時間労働から繁栄する時期もあると思いますが、未来としては下請けにしかなっていかない。他力本願ではなく変わっていかないといけないという意識が社員には根付いてきています。

──その原点はなんですか。
東日本大震災の時に、当社も売上がかなり落ち込む時期がありました。その時に当社の強みはなんだろうと原点に立ち返って考えました。最終的には、サービスであると結論づけました。本当はクリエイティブ力だといいたいんですけどね。でも、私たちの強みはサービス力だと豪語しているし、スタッフにもそれがかっこ悪いとかは言わせない。当社は、社員全員が、経営数字を把握しています。当社の事務所はガラス張りなのですが、まさにガラス張り経営です。

運動会で休みが取れる反面、数字にはシビアです。目標として、家族持ちが定年まで働けるという制作会社で、なおかつ、会社としても成長し続ける会社をつくりたいと思っています。そのためにどうすればいいのかと考えた末、社員全員を集めて数字に関する勉強会を始めました。数字に対して意識改革をしたんです。

──労働時間のバランスは、どのようにコントロールしているのでしょうか。
土日祝日に関しては、よほどのことがない限り出勤を許可していません。お客さんの都合でどうしても出勤しないと行けない場合は、例外ですが、その前に平日で調整できないか最善をつくすように指導しています。意味のない休日出勤は、体を消耗するだけ。長時間労働することは時代錯誤だと思っています。

松山支社の話になりますが、3年くらい在宅で勤務しているプランナーがいます。妊娠をきっかけに、在宅で勤務することになりました。月に1回会社に出勤して打ち合わせをしていますが、それ以外は家で仕事をしいます。彼女のプランにはファンが多くて、当社としては、とても貴重な人材です。

──最後に、今後の展望を教えてください。
25年間会社を経営していて思ったのは、時代にあった経営を引き継きたいということです。次の世代を育ていきたいです。

──本日は、ありがとうございました!

※2016年6月に取材した内容を掲載しています。